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飾りやおごりを捨て、ただ純粋に茶の心を 味わう。

千利休のさび茶の習得

「“さび”とは茶の修行を極め、悟りを開いていく事である。

住居に関しては雨が漏らない程度で、食事は飢えない程度で、ありがたい気持ちになることである」と利休はいっている。

飾りやおごりを捨て、ただ純粋に茶の心を味わう。

​ゆたかな人生を築く礼法の真髄

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“さび”とは茶の修行を極め、悟りを開いていく事である。

     茶室とは不思議な場所で、どんな人がそこを訪れたとしても自然と身を屈(かが)めるものです。そして一服のお茶を頂くまで厳かな時間を堪能します。

     茶室が建つことは日本人の心を忘れないということでもあります。
昨今、多くの日本人が礼儀を忘れかけているということをよく見聞きします。

その結果、今の日本は、政治・社会・学校・家庭、これら全てにおいて毎日さまざまな問題が起きています。
     人間として生きていく上で、人とのコミュニケーションは不可欠です。

そして、どのようなコミュニケーションを取るかで、あるべき内容が全く変わってきます。そこに礼の心があることで格段に良いコミュニケーションとなるのです。人として必要な礼の心を養うことができるのもまた、茶室の役割であると考えます。
 さて、人は一人では生きてはいけないからこそ、「より良い人間関係が自分の人生をより豊かにする」ということに気づかなくてはなりません。

したがって礼法やマナーを学ぶことの意義は、人生や人間の本質がどのようなものであるかについて学ぶことに他ならないのです。
「人に喜ばれることをする」「人が嫌がることはしない」といった、当たり前の行為の積み重ねこそ礼法・マナーの本質ですが、今の時代それがわかっていてもできない、あるいは、その分別がつかない人が多くいます。

人に喜ばれることをすることによって「自分の心が豊かになる」ということを実感し、人から嫌がられることが「自分の人生を虚しくする」 ということに気づいていただきたいと心から思います。
そして礼法の本質を理解して、勇気をもって人との関わり方を見直し、それを実践していただきたいのです。
     本書は、ちまたにあふれる礼儀作法の方法論ではなく、これからの時代、人として真に必要なものは何かを観じていただきたく、「法行」と「礼法」を基に記してあります。

従って一般の礼儀作法の類とは異なることをあらかじめご了承ください。
     そして、読み終わったら是非とも茶室を訪れていただきたいと思います。

実際に体感することで自分の中にもともとある感謝・敬意といった、本来の日本人の心があったことに気づかれることと思っております。

その心こそが、みなさまの生活に一石を投じるものになればうれしく思います。

礼をつくす喜び

〈茶室について〉ここで少し茶室のことをお話しいたします。今は茶室の本も数多く出版されております中で、説明内容が若干異なることがあるかもしれませんが、これは流派や先生の教えなどによってでありますことをご承知おきください。また専門用語が多く出てきますが、できるだけみなさんに分かりやすく進めてまいりたいと思います。茶道を習ったことがある方は分かりやすいかもしれませんが、客として茶室に入るときは「席入り」から始まります。席入りでは、客がまず表玄関を通り「露地」といわれる庭を通って、蹲(つくばい)で手と口を清めます。そして順に茶室入り、中で床の間やその他の茶道具を拝見します。この露地を含めた茶室全体の基本となるところは、千利休さんが考案しているのですが、さまざまな意味合いが取り入れられている面白さがあるのです。露地という庭もただ景観のための庭があるわけでなく、この庭の造りはわざと廻り込んだようにしてあります。そこにある蹲の役目は、柄杓を用いて身を清めることにあります。このような一連の流れを通して、人の穢れや煩悩を落とし、俗世から離れることを意味するのです。さらに四畳半の茶室には〝躙(にじり)口〟というとても小さな入口があるのですが、この入口が小さいのは理由があります。利休さんが生きた時代は、今にも名を残す織田信長、豊臣秀吉らの武将が活躍していた、まさに戦国時代でした。当時の茶の湯は武将たちのステイタスであり、毎日戦いに明け暮れる日常において心身をリフレッシュさせる効果もあり、無くてはならないものでした。いまでこそ女性の嗜みのように思われがちの茶道ですが、もとは男性主体の文化だったのです。武士といえば刀は必須ですが、茶室には持って入ることができません。実は、先ほどの躙り口の意味がここにあるのです。利休さんは茶室に「身分を持ち入れる」ことを嫌いました。刀は武士としての象徴ですから、これを外すことで一人の「人」となります。さらに躙り口は低い所に取り付けてありますから、どんな人でも頭を屈めて入ることになります。刀を外して頭を下げることで俗世の垢を落とすことも意味します。そして中では床の間の掛け軸や茶花をつつしんで拝見し、一人の人間と人間が向き合って厳かに一杯の茶を頂くのです。

おもてなしとは礼を尽くす喜び
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茶の道、礼の道、エコロジスト

「茶の湯」それは単にお茶を嗜むだけでなく、作法や礼法、わび・さびの世界を味わう心のゆとりが大切です。手軽にペットボトルのお茶が手に入る現代こそ時間をかけて茶に親しめば地球をいたわる気持ちが芽生えるのではないのでしょうか。

 

茶人・村中孝行さんに聞く茶の湯の魅力とは。

 

村中さんが茶道を始めたのは24年前。茶道家の先生に出会い、かねてから気になっていた茶の湯の世界に足を踏み入れたそう。

「実は最初の数年は、楽しむ余裕がなかったんです。お作法は難しく覚えることも多い。でも、あるとき先生からお茶会でお点前を披露してほしいといわれまして。プレッシャーがありましたが、稽古を重ねて本番を乗り越えたとき、大きな達成感がありました。それからですね、楽しいと思い始めたのは。あらためて茶道の作法を振り返ると、動きに無駄がなく合理的。茶道具の並べ方、お点前の手順、すべてにきちんと意味があるんです。無駄がない所作は美しいもの。もっとこの道を究めたいと向上心が湧いてきました」

 

茶道を嗜むようになると生活にもゆとりが生まれる
 

穏やかな笑顔に、ゆったりとした語り方。まさに茶人にふさわしい人物だと感じるが、実は素顔はせっかちで慌て者だといいます。

「性格自体は変わっていないかもしれませんが、茶道を通して、礼儀作法が身につきました。襖を開けるにしても、気が急ぐままに荒々しく開けるのではなく、両手を添えて静かに力を加える。そのほうが見ている側も気持ちがいいし、自分自身も穏やかな気持ちになれます。きちんとした所作を身につけることで、行動ひとつひとつに区切りが生まれ、仕事とプライベートの切り替えも上手くできるようになりましたね」

 

一服のお茶から大きな癒しを与えられる

 

掛軸が飾られた床の間、障子窓の向こうに広がる庭、畳の間の片隅に置かれた湯気を漂わせた釜。茶室を構成する要素は、決して華美ではありません。ですが、日本文化独特の「わび・さびの世界」を浮き彫りにしています。

「客人にお点前をした後は、特にすることはないんです。みなさんがお飲みになっている間は、静かに頭を空っぽにして座っているだけ。忙しない現代だからこそ、この時間は本当に贅沢。茶の湯は大きな癒しの効果があると思いますよ」

 

 

感謝の気持ちを育てるお茶会の楽しみ方

 

茶道を語る上で欠かせないのが礼儀作法。茶をいただく際は茶碗をまわす、畳の縁を踏んではいけないなど難しい決まりがあると思いがちですが、一番大切なのは感謝の気持ち。

「複雑な作法はたくさんありますが、それらは流派によって異なるもの。茶会に参加する側は、思いやりと感謝の心があればよいのです。お茶を受け取った際には亭主に一礼、お茶やお菓子に先に手をつける場合は隣席者に一礼。かの千利休も、茶の湯とは『湯を沸かし、茶を点てて、仏に供え、人に施し、吾も飲む』ことだといっています」

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空き箱をリサイクル
自然と芽生えたエコな心

 

日々の仕事は、屏風や掛軸の修復作業。年々、次世代へ想いを馳せる時間が増えたそう。「どの作品も年代物。これまでの補強や修復の跡が残っているんですね。先人の技術を目の当たりにすると感動しますし、同時に自分の技術も未来につながるんだと実感するようになりました」そ んな村中さんは、数年前からダンボールの再利用に取り組んでいる。

「空き箱の大福帳を貼り付け、防虫効果がある柿渋を塗り、収納箱として使っています」礼法を重んじる茶道に親しむうち、次世代に配属するエコの心が芽生えたのだろう。

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